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東京地方裁判所 昭和52年(刑わ)2380号 判決

主文

一  被告人牛田孝を懲役一年に処する。

この裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予する。

訴訟費用は被告人牛田孝の負担とする。

二  被告人吉田久勝を懲役八月に処する。

この裁判確定の日から二年間右刑の執行を猶予する。

被告人吉田久勝に対する本件公訴事実中毒物及び劇物取締法違反の点については、同被告人は無罪。

三  被告人金仁弘を懲役八月に処する。

この裁判確定の日から二年間右刑の執行を猶予する。

被告人金仁弘に対する本件公訴事実中毒物及び劇物取締法違反の点については、同被告人は無罪。

四  被告人小林英行を懲役六月に処する。

この裁判確定の日から二年間右刑の執行を猶予する。

被告人小林英行に対する本件公訴事実中毒物及び劇物取締法違反の点については、同被告人は無罪。

五  被告人神田幸和を懲役六月に処する。

この裁判確定の日から二年間右刑の執行を猶予する。

被告人神田幸和を右猶予の期間中保護観察に付する。

被告人神田幸和に対する本件公訴事実中毒物及び劇物取締法違反の点については、同被告人は無罪。

理由

(罪となるべき事実)

第一  被告人らは、共謀のうえ、昭和五二年二月初旬の午前零時三〇分ころ、千葉市本町三丁目四八番六号千葉相互銀行通町支店建築工事現場において、加賀山明雄管理にかかるトルエン六缶(一缶約一八リットル入り、時価合計約一万二〇〇〇円相当)を窃取し、

第二  被告人牛田孝は、劇物の販売業の登録を受けないで、かつ法定の除外事由がないのに、昭和五二年四月一七日午前一一時ころ、東京都世田谷区奥沢六丁目一九番地宮田家具店倉庫前路上において、甲野一郎(当時一九才)に対し、同人がみだりに吸入することの情を知って、興奮、幻覚又は麻酔の作用を有する劇物であって政令で定めるトルエン一缶(約一八リットル入り)を代金三万円で販売し

たものである。

(証拠の標目)《省略》

(法令の適用)

一  被告人牛田につき

罰条 判示第一の所為は刑法二三五条、六〇条に、判示第二のトルエンの無登録販売の所為は毒物及び劇物取締法二四条一号、三条三項、毒物及び劇物指定令二条一項七六号の二に、同知情販売の所為は毒物及び劇物取締法二四条の二第一号、三条の三、同法施行令三二条の二

科刑上一罪 判示第二の罪につき刑法五四条一項前段、一〇条(重い無登録販売の罪の刑で処断)

刑種の選択 右罪につき所定刑中懲役刑選択

併合罪の処理 刑法四五条前段、四七条本文、一〇条、四七条但書(重い判示第一の罪の刑に加重)

執行猶予 刑法二五条一項

訴訟費用 刑事訴訟法一八一条一項本文

二  被告人吉田、同金、同小林につき

罰条 刑法二三五条、六〇条

執行猶予 刑法二五条一項

三  被告人神田につき

罰条 刑法二三五条、六〇条

執行猶予 刑法二五条二項

保護観察 刑法二五条の二第一項後段

(一部無罪の理由)

本件公訴事実中毒物及び劇物取締法違反の点は、

「被告人らは、共謀のうえ、劇物の販売業の登録を受けないで、かつ、法定の除外事由がないのに、昭和五二年四月一七日東京都世田谷区奥沢六丁目一九番二一号宮田家具店倉庫前路上において甲野一郎(当一九年)に対し、同人がみだりに吸入することの情を知って、興奮、幻覚又は麻酔の作用を有する劇物であって政令で定めるトルエン一かん(約一八リットル入り)を代金三万円で販売したものである。」

というのである。

審理の結果によると、被告人牛田が、右の日時場所で甲野に対しトルエン一かんを三万円で売却したこと(以下「本件販売行為」という。)は明らかであるが、これが他の四名の被告人との共謀によってなされたものであるとの点については、決定的な心証を得ることができなかった。以下にその理由を述べる。

本件販売行為より二か月以上前である昭和五二年二月上旬、被告人ら五名が千葉市内からトルエン六かんを窃取して来た際、「六かんのうち一かんは皆で使用し、他の五かんは売却する。だれがどれだけ売っても金は皆で公平に分ける。」旨の共謀が被告人らの間になされたことは証拠上明らかで、間違いはないと思われる。そして共謀成立後本件販売行為までの二か月余の期間内に共謀の解消についての話し合いが行われたとか、共謀関係からの離脱の意思表示がなされたとかの形跡はうかがわれない。したがって、当初の共謀は存続しており、共謀者中の一名によって実行行為がなされた以上、共謀者全員が共謀共同正犯として責任を負うべきである、との検察官の主張は一応もっともであるようにもみえる。

しかし、共謀の解消は必ずしも明示的になされる場合に限られるものではない。本件では共謀の背景にあった諸事情が二か月余の時間の経過とともに大巾に変化し、遅くとも本件販売行為が行われた四月一七日直前までには、右共謀が暗黙のうちに解消していたのではないかとの疑いが濃いと思われる。

そこで、被告人らが右の共謀をなすに至った当時の経緯、背景についてみると、被告人牛田、同金、同小林、同神田の四名は被告人吉田の当時のアパート青葉荘に一―二か月前から入浸り、仕事もしないで遊び暮らしていたものであり、遊興費はもちろん生活費にもこと欠く有様であった。したがって吉田が、勤め先の工事現場に放置されているトルエン六かんを思い出し、「ドリンクびんなどに小分けして新宿なみに売ればもうかるな。」と提案したのに対し、他の四名は即座に「それを盗もう。吸うだけでなく、売ればもうかる。」と飛びつき、判示第一の犯行に及んだものである。

ところがその二―三日後、吉田が世田谷区内の右青葉荘から目黒区大岡山の近藤荘に引越したことにより、事態は急速に変化していった。青葉荘を追われた牛田、金、神田の三名は目黒区緑が丘のホワイトマンションに移り、小林は目黒区自由が丘の実家に戻った。更に一か月ほどした三月一〇日ころには、神田は金とけんかしてホワイトマンションを出て目黒区大岡山の実家に戻ってしまった。共謀後一か月余にして青葉荘時代ひとつ部屋に寝泊りしていた被告人ら五名は四か所に分れて生活することになった。この空間的あるいは物理的に隔離されたこと及びその後に起った内紛は、以前の一心同体的な被告人らの結合を弱めることとなったことは否定できないと思われる。全員が集まる機会さえ少なくなってしまった。他方、以前遊び暮らしていた牛田、金、小林、神田のすべてが右の二か月余の間に就職し、勤めに出るようになった(なお吉田は青葉荘時代から職に就いている。)。新しい仕事が忙しく、トルエンを売るどころでなくなった者もでてきた。また金被告はホワイトマンションに移る際自分の乗用車を売って七五万円を得た。かように就職に伴う定期的収入、自動車の売却代金あるいは親元に戻ったこと等により、彼らの生活は経済的にも精神的にも安定したものとなった。このことは彼らが以前のようには金銭に困らなくなったことを意味し、これはまた、彼らがばらばらに生活し会社等に出勤するようになったこととあいまって、「トルエンをみんなで売ってもうけよう。」という意思、更には分け前に対する欲求を急速に減退せしめていったのではないかと思われる。現に小林被告は、牛田被告に対し、四月上旬ころ「トルエンはもういらない。」と言って、自己の持ち分ないしは分け前請求権を放棄する旨の意思表示をしているのである。

要するに、本件販売行為当時、以前なされた共謀がはたして存続していたかどうか、については疑問が残らざるを得ないが、そのことは更に、

(1)  窃取したトルエン六かんのうち青葉で手をつけた一かん以外の残り五かんは世田谷区内の宮田家具店倉庫に預けてあったが、被告人らはこれらをめいめい勝手にホワイトマンションあるいは近藤荘に運び込み、吸引するなどして使用していること。その量は結局、六かんから甲野に売却された一かん及びボトル等少量を除いた約五かん弱に及んでいること。「売り物に手をつけるな。」などと文句を言った者は一人もいなかったこと。だれがどれだけトルエンを使ったか、またトルエン六かんの行方を正確に知っていた者はいなかったと思われること。

(2)  本件販売行為に至るまでの二か月余の期間中、被告人らの間で共謀についての確認ないしは相互のチェックが行われた形跡は全くうかがわれないこと。たしかに青葉荘では、窃取してきた直後トルエンを小分けして売ろうとした。が売れなかった。しかし青葉荘を出てからは、共同して売った事実はもとより、どのようにしたら売れるか、などと相談した様子もない。そればかりか、被告人らのうちだれ一人として「どれだけ売れたのか。」「残量はどれだけか。」「金はどれだけたまったか。」などと聞いた者はいなかったし、関心を示す者もいなかったように思われること。

(この点に関連して、牛田被告は甲野に対し本件トルエン一かん以外に小びん二本、ボトル一本を売り渡し、そのうちボトルの代金五〇〇〇円については金被告と折半している事実があるので一言する。牛田が金に二五〇〇円を交付したのは、取引の現場に金が居合わせたため、折半せざるをえなかったことによるものであることがうかがわれ、本件共謀に基づく分け前として与えたものでないことは、金被告が取引の現場に居合わせなかったトルエン一かん及び小びん二本の代金については、牛田被告は金被告に一銭も分け与えていないことからしても明らかであると思われる。)

(3)  牛田被告は本件販売行為によって得た三万円を六月二日逮捕されるまでの間、十分な時間的余裕があったにもかかわらず、だれにも分け与えていないこと。右事実を事前あるいは事後に知った吉田、金、小林も牛田に対しなにひとつ分け前を要求していないこと。

(4)  神田被告は前記のとおり三月一〇日ころ金被告とけんかしてホワイトマンションを出たが、その原因は「トルエンを吸うのはやめろ。」と神田が金に再三注意したことに端を発していること。神田は宮田家具店からトルエンを持ち出したことはなく、ホワイトマンションでは見つけたトルエンのびん詰めを川に捨てたこともあること。牛田被告の本件販売行為を神田が知ったのは、自分が警察に逮捕されてからであったこと。

等の諸情況によって裏付けられると思われる。

被告人らが捜査段階で述べていること、―多少のニュアンスの差はあるが、―

「人に売って金もうけをし、これを公平に分けようという約束のもとに相談して千葉からトルエンをかっぱらってきたのですが、なかなか人には売れないし、長い期間売らないで隠しておくうちに、めいめいが勝手に運び出してはアンパンで使ってしまったりして、売ろうという気持も、他の連中が売っても分け前など欲しいという考えもなくなりました。」

被告人らがこのように述べていることは、前記の諸情況に照らすと、弁解のための弁解であるとして一蹴できないものがある。

したがって、被告人吉田、同金、同小林、同神田に対する毒物及び劇物取締法違反の点については共謀の事実を認めることができず、結局、犯罪の証明がないことになるから、刑事訴訟法三三六条により右被告人らに対し右の点について無罪の言渡をする。

そこで、主文のとおり判決する。

(裁判官 花尻尚)

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